TOP >> 文化歴史 >> 松本鶴松村長頌徳碑 (まつもとつるまつそんちょうこうとくひ)
 松本鶴松村長頌徳碑





神津島郷土資料館の隅に建立されている碑。


【表】

松本鶴松村長頌徳碑
     馬場恒吾書 □□(□は印)



【裏】

 松本鶴松氏は明治十四年十一月七日に生れ 

長ずるに及び漁業組合書記 郵便局員 漁業組合監事 養豚組合評議員等を歴任した

 天性寡黙実行而かも物質に恬淡にしてよく島民の聲望を担い
すべて自己の為にせざる剛毅なる風格は四十一才にして名主に挙げられて

大正十二年村長に就任

 由来東京を距る五十余里一孤島民の恵まれざる生活に思をよせ寧日なき一歩は踏み出されたのであつた 

先づ村造りの方途と同志を糾合産業経済文化の面を研究し

漁業開發のため漁港の築造に着手し
動力船使用を勧奨し
農業の振興に就いては共振會品評會等により技術の養成に努め

或は
道路の改修
水道の施設
河原の砂防施設
病院の設立
無線電信の設置
青年子弟の給費遊学生の派遣
 青年團の結成等その業蹟は枚挙に遑が
ない 氏の悲壮なる努力は斯くして村の飛躍的な發展を成し遂げたが 一身を省みざる疲労
は遂に脳溢血に倒れ村長を辞任した 時に昭和二年氏四十八才であつた 退任後病躯を推し
て村會議員となり村政に参画したが不幸五十四才にして他界せられたのである
 氏の生涯は正に本村民の発展史であり その業蹟は不朽に輝き 偉大なる功績は永遠に傅
承されるであろう 依って茲に村民の意によりこの碑を建ててその功績を永久に稱へるもの
ものである。 昭和三十年三月吉日
         馬場恒吾題字         長谷川耕南書□ □(□は印)


松本村長。ありがとう。