TOP >> 文化歴史 >> 水配り伝説
 水配り伝説

 
(前浜海岸にある水配り神話のモニュメント噴水)
寝ている利島の神様からの枕のような壷からは水がでるようになっている。


噴水にある案内板によると。
 
神代の昔、事代主命と神々によって伊豆七島が造られた後、
その真中にある神津島で島々 の神々が集まり会議が開かれました。

場所は天上山山頂の火口跡の不入が沢。

会議の一番大事な議題は、命の源である「水」をどのように配分するかでした。

 そして討議の結果、翌朝先着順に分ける 事に決まりました。

翌朝一番早く来たのは、 御蔵島の神様。
そのため御蔵島は最も 多くの水を手に入れる事が出来ました。

次に現れたのが新島の神様、
3番目は八丈島、
4番目は三宅島、
5番目は大島でした。

こうして次々に水が配られ 水はどんどんなくなっていきます。
 
そんなところに最後に寝坊してやってきたのは利島の神様。

既に水は殆ど残っていない状態でした。
これを見た利島の神様は怒り、僅かに水が 残っていた池に飛び込んで暴れ回りました。
水は四方に飛び散りお陰で神津島ではいたるところで水が沸きでるようになったと言われています。

不入が沢は今でも足を踏み入れてはいけない
 神聖な場所になっています。

との事。

 会議の場所となったと言われる天上山の不入が沢(はいらないがさわ)。
くぼみのところに集まったのです。


夕陽に照らされる噴水。



噴水のてっぺんにいる神津島の神





各島の水事情


 神津島、御蔵島、新島、八丈島は水に恵まれてる方で、

 三宅島は大路池や滝があるなど恵まれている。

 大島、利島、(式根島、青ヶ島、父島、母島)では水に苦労していた印象を受けます。

 

会議主催の島 神津島

 村の水道水は地下水を利用するほどで、
多幸湧水、つづき湧水、赤崎のみずがしり、沢尻湾の小川、観音浦の小川、釜が下の小川、など湧き水いっぱい!天上山にも千代池、不動池など池もある。やっぱり多幸の水がうまい!


1着 御蔵島

 巨木を育む原生林があり、滝もたくさんある。
なんと、水力発電を行うほど。ミネラルウォーターの採取、「御蔵島の原水」として販売をするほど水資源豊か。


2着 新島

 親水公園があり、式根島に送水しているほど!新島の水もうまい。


3着 八丈島

 水海山という山があり、多くの雨がそこにふるそうな。湧き水もいっぱい。ここの水もうまい!。


4着 三宅島
 
 伊ヶ谷海水浴場には湧水が流れる。大路池という、伊豆諸島で一番の淡水湖がある。


5着 大島

 水道水は少し塩辛い!?井戸を掘っても溶岩の岩盤が出てきて掘れない・・・。

 グローバルネイチャークラブのガイド日記より転用
 記事題名 
 大島水物語(http://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/13e1d3dba60aa46e73964ba275ec043f
 
 〜引用〜

白井さんのお話しから…
「家では牛を飼っていて、世話をするためにトタン屋根にして屋根から流れる雨水をためていた。
たまった水にはボウフラが湧くので、カメをたたいてボウフラが沈んだ時に、ヒシャクですくって上の方の水を飲んだ。ボウフラが湧く水は、生き物が住めるのだから安全だと言われていた。
水が貴重だったから,御飯のあと茶碗は洗わなかった。
自分の茶碗が決まっていて御飯のあと白湯をいれ、箸でキレイにして白湯を飲んだ。
風呂は1週間以上変えない、石けんも使わない。
自分たちで庭に穴を掘り周りにコンクリートを塗って、雨水を貯める「井戸」を掘ったが、コンクリートに根が入って漏れてくるので,3年に1度は“井戸替”えをした。

 〜引用終わり〜

 水事情。大変です。


6番 利島

 現在は、海水淡水化装置などで良い水事情になっています。
ここも水事情大変です。

(参考 )KAMERUKIのページより
http://www.ne.jp/asahi/goto/home/shikido/toshima.html



番外編 水配り神話にででこない島の話。


式根島
 
伊豆七島のひとつとして数えてない島ゆえに、神々の参加していない(神がいないのか!?)
そんな、島の水事情は現在、新島からの海底送水で安定している。

式根島オフィシャルサイトより引用
http://www10.ocn.ne.jp/~shikikyo/whats/

〜引用〜

【水】
 古来より離島、とりわけ小さい島々にとって水の確保は生活上最も大きな問題でした。
「神津島の神々」という伝説の中で伊豆七島の中で3番目に水に恵まれていると記されている新島も例外ではなく、ジェット式の自給水道化が進んだ昭和初期にようやく安定供給のめどが立ちました。

式根島にいたっては、井戸あるいは屋根水(雨水)で生活用水をかろうじて確保するという状況が長らく続きました。昭和45年に一日に清水200トンつくる脱塩交換装置を用いた簡易水道が設置され、水との戦いに終止符が打たれるかと思いましたが、式根島の地下水は絶対量が少なく、夏の観光シーズンにはすぐに水が底をつくという状況でした。

式根島としては当然、他の水源を求めるしかなく、新島からの海底送水を願います。水不足への不安から新島の住民からの反対が少なからずありましたが、ついに昭和51年、新島からの海底送水施設が完成し、今日の安定供給にいたっています。

〜引用終わり〜


青ヶ島

水道は、山の一部をコンクリートで固め、雨水を向沢取水場にて集水してそれを利用しています。
(1万トンまで保管できる)
それ以前は大変だったそうです。


小笠原諸島 父島
 
 山が険しく降った雨はすぐに海に流れていってしまい自然の貯水力は低い
ダムを造り、扇浦の浄水場で飲み水を作っている。

時雨ダム(しぐれだむ) ダム便覧へ
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0694



小笠原諸島 母島
 
農業用水用の玉川ダム、飲料水用の乳房ダムを作っている。

母島にある乳房ダム ダム便覧へ
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3592


参考 神津島村史の記述 『神津島村史 P570 「三 水分けの神話」 より』 

 

三 水分けの神話

神津島は、伊豆諸島の中間に位置していることと事代主命の本拠地であった伊豆半島の白浜との間が最も至近距離にあるので事代主命とその一族によって島々が焼き出された後も「神集島」が神々の会議場に選ばれていたことは現在でも首肯出来ることである。

さて、いよいよ島ができあがって各島に水を分けるための会議が招集され、会議場は、天上山の頂と定められた。天上山はほぼ島の中央に位置し標高五七一.五メートルで十数個所の噴火口跡があり、中央に満々と水を湛えて、池となっているところある。この中で村落を最もよく見おろせる位置にある白島の頂上に”はいんないが沢”という火口跡の凹地がある。ここで某日、水分けの会議が開かれたのであるが、定められた時刻に各島の神様が集まらないのでやむを得ず先着順に分配することになった。

この日、御蔵島の神様は早朝から出て来ていたのでまず一番最初に最も良い水の分配を受けて帰った。次に新島と八丈島、三番目に三宅島、四番目に大島の神々とそれぞれ先着順に分配を受けて全部の神様が帰ってしまった後へ利島の神様が朝寝坊をしたためにおくれてやって来たが、既にその時は水はほとんどなくなってしまっていたので、それを見た利島の神様は、怒って池の中に飛び込んで散々暴れ廻って帰ってしまった。

このため、伊豆諸島の水は分配を受けた順序どおり、御蔵島が一番豊富で、次いで八丈島、新島となっているが、大島は少なく、最も水利が悪いのは利島であるとされている。

利島は、そのとき神様がはいていたわらじの底にたまっていた水だけしか持ち帰れなかったが、そのため、利島の神様が暴れた時に神津島全域に水が飛び散ったので今でも神津島には水が豊富にあることと島の海岸線至る所に湧水が流れ出しているのであると伝えられている。

また、”はいんないが沢”の中に入ると出口が判らなくなって外に出られなくなるから絶対入ってはいけないとも言い伝えられて、水分けの会議が行われた場所として昔から神聖視されている。