TOP >> 文化歴史 >> 松江半之助頌徳碑 (まつえはんのすけこうとくひ)
 松江半之助頌徳碑

松江半之助頌徳碑



物忌奈命神社境内の隅に建立されている碑。

【表】

松江半之助翁頌徳碑
馬塲恒吾書 □□(□は印)



【裏】

 松江半之助翁は安政五年十二月八日に生れ明治一四年若冠十六才にして本島地役人並に神官を命ぜられ尓来昭和八年まで実に六十有余年の間神に奉仕する

一方多くの官公職を歴任本村産業経済文化の向上発達に身心を捧げ偉大な業蹟を遺されたのであります

就中翁は本村文化の向上に意を用い通信運搬施設の完造を圖り後進の指導育成に重大な関心を持って教育の重要性を説き本村にはじめて小学校を開校し更に産業経済の發展民生の安定を願ひ自費を投じて寺山水道を設置しいけすの開設を圖り

漁業組合の設立に奔走して明治三十六年初代組合長となるや直にいけすを組合に提供すると共にその卓越なる識見を以て船揚場の改修漁船の改良漁獲方法の改善等に當り

その経営に於いては後年模範優良組合として數回の表彰を受くる確固たる現在の組合の基盤を作り上ぐる筈
その不滅の業績は後世村民の忘るヽ事のできないものであります。

依つて茲に村民の意によりこの碑を建ててその功績を永久に稱へるものであります 

 昭和三五年三月吉日

馬塲恒後 題字      長谷川耕南書 □□(□は印)


つまり、


「松江半之助は16歳で地役人になって、60年あまり神に仕えた。
さらに、村の官公職にも多く就き、小学校を開校したり、自費を投じてまで水道を引いたりと村の繁栄に努めてくれた。
漁業共同組合の設立にも奔走し、船揚場や漁法の改善もした。それは、数回の優良組合員の表彰も受けた。

その不滅の功績を村民は忘れる事のできないものである。
その功績を永久に讃える。」



とのこと。